Hはかく語る#07.努力という言葉の意味

簡単に使ってしまうのだが、『努力』という言葉の意味を最近よく考える。 
何故なら、『努力』って、かなり難しいモノだから…教える者としてキチンと整理しておかなければ生徒に申し訳ないと思ったからだ。

努力をし続けられる事を『才能』と呼ぶ。

と、いう言葉を時々使うことがある。

とすると、『努力』するということは、基本的に辛いことなのか?
辛いことを我慢して頑張ることが…『努力』するという事なのだろうか?

確かに、『努・つとめる』には、『力を尽くす・はげむ』という意味がある。
では『力を尽くす』とは?本当に人は、何かを成そうとする時、力を『尽くし』ているのだろうか?

養成所生に『努力』しろとか、まだまだ『努力』が足りない等とか、簡単に口にしてしまう。
その際、生徒は、立場上余り口答えできないので『はい』と返事をするが、本当は彼らなりに『努力』しているのだと思う。

では、何が足りないのだろうか!?

などと、答えが出そうにない事を延々と考え続けるのである。

そして少し気付いたことがある。

また関係各位から反論という名の集中砲火を受けそうだが、恐れずに言うと…『成功している人の中には、努力なんてしていない!と、言える人が何人もいる』ということだ。

彼らにとって、声優になる為に力を尽くすということは、『楽しみ』以外に他ならない事だったはずだ!
だから、そこには苦しみは存在しない、自分が成長していくのを確認する楽しみ・喜びが有っただけだ。

そんな人を 人は『天才』と呼ぶのだろう。

そして、貪欲に楽しみを貪りたい天才達は、その上に『努力』をしようとするから…手に負えない。
そんな先輩達に追い付き、追い越すためには…いくら必死に『努力』しても無駄なのだ!
むしろ『努力』を『努力』と思わず、『楽しむ』ことが一番じゃないのだろうか?
だって、皆 『ゲームをしていて、気づいたら朝になっていた』と、楽しそうに良く話しているじゃないか!!
何事も楽しんでやるのが一番!苦しんでも仕方が無い!!!
その上で、まだ足りないと思ったら、『血を流す覚悟でする』、それが『努力』というものじゃないのだろうか。その覚悟をどれだけの人が持っているのだろうか?